トライアスロンへの道 その27

 

ランの10キロを過ぎると徐々に上り下りが現れる。

高低差としては差ほどではないはずだが、膝裏の痛みだけではなく足全体いや体全体がフワフワしていて更に頭の中もフワフワしてきそうだった。まだ30キロも走らなくてはならないのにもう夕暮れになりそうで、私は少し悲しい気分になりながら走っていた。

 

全体では300人くらいの選手が出ているはずだが、240km以上の距離を進めば早い選手もいれば遅い選手もいる。私は完走できるかどうか、というレベルで走っていたのだが
一緒に走っていたF先生以外では前後の選手はかなり遠くに見えるだけ。

誰かを抜くとか抜かれるとかそういう出来事はあまりないので、もう完全に自分との戦いになってきた。

 

遠別町から走り始めて隣町の初山別村に入ってきた。

夕方の5時前後になると気温も下がってきて、エイドで何か食べなきゃと思っていてもなかなか手が伸びない。体が冷えてきて内臓が働かず、更に思考回路がおかしくなっているのだろう。とにかく嫌な汗がにじみ出ている感触は、ちょっと気持ちが切れると足が止まりそうだ。

 

まだこの時点で歩くことはなかったが、キロ7分くらいのペースで走っているので日本海の潮風を浴びながら「これから気温が下がる」とか「真っ暗になったらどうなるんだろう」とかマイナスなことばかり考え始めていた。

この初山別村はこのコースで一番上り下りが多い場所なので、とにかく歩かないようにしなければならない。少しでも歩けば次の関門には間に合わない可能性があったので、あまり先のことは考えないようにした。

 

いよいよ、ラン最初の制限関門が迫っていた。実はバイクで痛めた膝裏が徐々に厳しくなっていてここまでは何とか誤魔化してきたが、さすがに我慢も限界にきていた。21.5kmの関門を10分前位に通過してから、一緒に走っていたF先生には「トイレ(大)に行く」と行って遂に分かれた。

どうしてもトイレに行きたかった訳ではないが、膝の調子が気になり少しストレッチでもするつもりでいたが、思いのほか痛みは厳しくトイレで少しの間うなっていた。一瞬、「リタイヤかなぁ」という思いも浮かんではいたが、私よりも年上、いや私の親世代ではないかという人たちも必死の形相で頑張って走っていた。

そんな姿を見てしまうと、さすがに30代の私がリタイアする訳にはいかない。

 

私は覚悟を決めて「行ける所まで行こう」と思いっていると、ランの関門をスタートした直後に私が3ヶ月前から習っていたスイミングスクールの先生が、なんとボランティアで来ていたのだ。

私は思わず何かが込み上げてきそうだったが、グッとこらえて改めて「絶対ゴールしなきゃ」という思いが更に強くなった。

 

 

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