UTMF2016 レポート

大会レポート
開催日時 2016年9月23日(金)~25日(日)
開催場所 山梨県富士河口湖町・静岡県富士市
種目 UTMF169km・STY72km

2011年に初めて100マイルのトレランレースがあることを知り、それから登山を始め様々なトレランレースに出場し、ようやく参加資格を得たUTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)。

しかも運良く初めてのエントリーで抽選にも当たり、私は緊張の日々を過ごしてきた。富士山を横に見ながら167kmを走り、累積で8,000mを登る、内容も規模も日本一のトレラン大会と言っていいレースに出られることになった。

大会前日は新宿のビジネスホテルに泊まり、朝7時のオフィシャルバスで河口湖へ向かった。

河口湖には8時半に着き、まずは受付・必携品のチェックをしたが特にヘッドライトと上下の雨具はかなり丁寧にチェックしていた。さすがに1400人も居ては全てを完璧にチェックするのは難しいことが、逆に「何かあっても自己責任だよ」と言われているような気がした。

それからスタートの13時まではずいぶん時間があったので、各種ブースを全部を見た。シャツ・シューズなどの身に着けるものはもちろん、チャックやシューズのひもをまとめる金具などのメーカーなども来ていて、ランナー達の生の声を吸収しようとしていた。

いよいよスタートまで1時間となったので、中間点行きのドロップバックを預け気分を高めようとしていた頃スタートに関するアナウンスが入った。どうやら富士宮に大雨警報が出ているのでスタート時間を2時間遅らせるとの話になった。

完走後のバスや飛行機の時間などが心配だったが、今更ジタバタしても仕方ないのでとりあえず待つしかない。我々は小雨が降る中狭いスペースで身を寄せ合い、若干の寒さを感じながらひたすら待った。

予定外のスタート時間延期で会場の飲食店は予想以上に売れていたようだ。私もオムライスとから揚げをいただいた。

延期後のスタート40分前には選手のほとんどがスタート位置に並び、皆で健闘を誓い合う光景が見られた。そしてその後の開会式では、鏑木実行委員長が「重大な決断をしました」という言葉から挨拶が始まった。

その内容は、2日前に169kmとなったコースがなんとA3エイドまでの49kmに変更するとの発表だった。その瞬間「エー!?」という1400人のため息と共に鏑木さんの泣き声が漏れたが、スタートラインに並ぶランナー達は一斉に家族やサポーターに連絡を取り今後の対応を急いでいた。

本来であれば日曜日の午前中にゴールするはずが、金曜日の深夜2~3時頃にゴールするかもしれないのだからその慌てようは尋常ではない。迎えの車を手配したり宿の予約を取ったり、私もとりあえず土曜日の宿は某旅サイトで予約したが当日の夜はどうするか未定のままだった。

スタート位置に整列してからの突然の距離短縮発表で、ゴール後の行動や寝場所の確保が出来ないままスピードレースは始まった。

号砲直後には物凄い押し合いで何だろうと思っていたら、鏑木さんとハイタッチするために皆が右に寄ろうとして満員電車以上の圧迫感で体の小さな私は倒れそうになった。すでにゼッケンが取れて落ちていたりもした。

あまりのギュウギュウ状態に我慢ならず、私は思わず「押さないでください!」と大声を発した。すると隣にいた台湾人が私の肩を組んで倒れないように支えてくれた。台湾人は声はでかくてうるさかったが、とても良い人だ。

スタート地の河口湖では霧雨程度の雨だったのでなぜコースが1/3にまでなるのか複雑な感じだった。まずはスタートラインを1分20秒ほどで通過し、スタートの混乱を除けばその後の湖畔沿いはキロ6分ペースで走らざるを得ず、そのまま足和田山への登山道へ向かう。その途中で私にトレランを教えてくれたHさんが合流し、しばらく色んな話をしながら走った。

しかし、その足和田山への手前の道路を渡るのに20人ずつ一般道を渡ることになりここで15分ほど待たされる。その後はやっと山に入れると思いきや、今度は登山道自体が恐ろしいほどの渋滞でここでまた15分ほど待たされ、しかもそれからの登りも一歩上がるのに1分くらいのペースで大幅な時間の遅れを覚悟した。

その後も登りは遠足みたいなペースで登らざるを得ず、もう諦めの境地に達していた。山頂近くになってからようやく本来のトレランペースになってきた頃、雲が少なくなり一瞬だけ富士山が顔を出した。

足和田山の下りは5分半くらいのペースで下っていたが、途中でけがしている女性がいて数人が手当てをしたりしていた。ただ、私がいたところで何も出来ることはないので申し訳ないがそのまま素通りした。

W1では携帯コップで水を一杯だけいただきそのまま進んでいると、霧雨が小雨に変わり湿度の高さが息苦しさを感じた。スタート直後のダッシュのような走りと、大渋滞後の山岳部と高湿度からか、ロードなのに足がやたら重く感じていた。

のどの渇きもひどくなっていたので、脱水に近い状態だったのだろう。ロードで10人ほどのランナーに抜かれても対応できない状態となり、焦りと不安を感じながらの我慢の走りは続いた。

A1エイド(20km)到着 3時間14分(PM6:14)

脱水に近い状態で苦しいロードを走り、最初のエイドである20kmのA1精進湖では、豚汁と共に沢山の食料を椅子に座りいただいた。

北海道も今年は高湿度ではあったが本州の湿度は何か質が違う。明らかに体の状態が悪いと感じていたので、体調を整えるためにもしっかり食べて水分を確保してからスタートすることにした。

完全に日が落ちて山岳部に入ると徐々に体感気温は下がり、涼しさを感じるくらいになると何だか元気が出てきた。やはり私は山の中の方が調子が良いようだ。

烏帽子岳・パノラマ台の登りではロードで抜かれたと思われるランナーを次々とパスしてグイグイ登れるくらいにまで回復してきた。パノラマ台からの下りは泥だらけで皆苦戦していたが、私は急にテンションが上がり足を滑らせながら下る手法で一気に20人くらいは抜いたと思う。

その後のホトケ峠では数珠つなぎの登りで、一定のペースの時間が続くと途中で付いていけない人が死人のように休んでいるのが目立った。そしてどんどん本降りになる雨でカッパを着る人が目立つ中、私はテンションが上がってきていたので半袖のままで充分なくらいの体感気温に感じられた。

そんなホトケ峠の登りの途中でボランティアの人が「ゴール地が更に手前になりました」とランナー達に声を掛けていた。とはいえ、エイドでもなんでもない道の駅がゴールになるらしいが、一体それがその辺にあるのかさっぱり解らないままとにかく前に進むしかなかった。

A2エイド前のドロドロ下りではボランティアの方が、「絶対滑りますからゆっくり」と大声で叫んでいた。腰が引けて動けない人が目立っていたが、ここでも私は何故か狂ったような泥下りで一気に30人くらいは抜いたと思う。気温が下がり体調も絶好調に近い状態になりつつあったので、前のランナーを抜くのが楽しくなっていた。

A2エイド(32km)到着 6時間18分(PM9:18)

32km地点のA2エイドではその後の地図が張られており、A3エイドの数キロ目手前がゴールになるということと、翌日のSTYにそのまま参加できることが書かれていた。UTMFが短縮されたことで、もしSTYを走らせてもらえるなら絶対走りたいと思った。

しかしSTYに参加するためには自力で富士市まで行かなくてはならず、地方から来た我々には無理な話であった。河口湖に戻って45kmをタクシーで行くか、その日のゴールの富士宮からそのまま富士市まで35kmを歩くか、雨の中走りながらしばらく考えたがまとまらなかった。

A2エイドを出てからは大型トラックが行き交う富士パノラマラインを走ったが、ゴールまであと数キロというところで途中から林道を進み、真っ暗な中よく解らない浸水した通路などを走っていた。

すると前から数十人が戻ってきてコースミスをしたらしいと言って、その後50人ほどのランナーが2キロほどを行ったり来たりした。確かA2エイドで見た地図では一般道路をそのまま走るルートに変わったと思っていたので、こんな草むらを走るなんて違うのかも、と思い始めた。

結局誰かが本部に確認してみると、そのまま草むらを走るとゴールがある、と言われたらしい。どうやらコース上で「あと3km」と言っている人がいて、それから3キロ以上走ってもゴールどころか草むらしかないからミスしたと思ったらしい。

昼間ならまだしも、真っ暗な中でコースミスをすると大変だということを体験できた。雨も降っていたのでみんな地図を出そうとしないし、集団心理に惑わされて正常な判断が出来なくなる可能性が高い。やっぱりトレランレースは奥が深い。

最後はどこにゴールがあるか解らないような草むらを走り、かすかな光と歓声が聞こえるがどこに何があるのか解らない。そして国道を渡った場所に突然ゴールゲートらしきものが見えた。

「やっと終わった」というのが正直な感想だが、最後の方はコースミスなどでグダグダな感じであまり感動らしきものは感じられなかった。

ゴール 8時間31分(PM11:31)

本来のゴールとは全く違う場所で44kmのUTMFは終わった。

ゴールでは鏑木さんが出迎えており何人かは写真を撮ったりしていたが、私はこの距離ではUTMFを完走したことにはならないと思い鏑木さんとの握手も写真も撮らなかった。なぜかそんな行動をとってしまった。

ゴールの道の駅は、急遽決まったゴールにも関わらずしっかりとしたエイドが出来上がっていた。やたらお腹が空いていたので、やきそば・いなり寿し・まんじゅうなどとりあえず一通りいただいた。

そのまま河口湖行きのバスでスタート地に戻り、チップを返してフィニッシャーズベストを受け取ることなるが、チップを返せば翌日のSTYには出られなくなる。

バスに揺られている間ずっと悩んだが、こんな夜中に富士市まで行く方法は見つけられなかった。それにSTYも雨で中止になる可能性もあるし、こんな遠いところまで来て無理して今度こそ北海道へ帰れなくなったりする危険性もあるので、STYは諦めた。

河口湖でチップを返して、フィニッシャーズベストはサイズが無くなり後で郵送されるらしい。

日曜日の午前中にゴールするはずだった私は、金曜日の深夜1時にひっそりとした河口湖の湖畔で泥だらけのままで路頭に迷った。

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