北海道アウトドアフェスティバル(ルスツトレイル)2015 レポート

大会レポート
開催日時 2015年9月27日(日) AM4:00~ *トレイルランニングのみ
開催地 虻田郡留寿都村
種目・制限時間 50マイル(14時間)・60km(13時間)・40km(10時間)・16km(4時間)・6km・キッズ
参加者 50マイル(48名)・60km(59名)・40km(57名)・16km(113名)・6km(34名)

昨年は69.4kmを走りゴールまであとわずかというところでチップを紛失したことに気が付き、失格となったルスツのトレイルランだが、今年こそはどうしても完走しなくてはならない理由があった。

単なる昨年のリベンジだけではなく、来年のUTMFへの出場権も掛かっていたので、確実に完走して来年へ向けてテンションを挙げる材料にするつもりだった。

もちろんそのための準備は充分してきたつもりだが、今年は昨年出場した70キロコースより距離も高低差も増えて、距離は83.1km、累積標高差が5,150mとなるモンスターコースを完走出来るのか、一抹の不安はあった。

今年の作戦としては、序盤は力を温存して中盤から盛り返し、後半は狂ったようにスパートを掛ける…そんなレース展開を思い描いていた。

当日朝の天候は曇りで、気温は15℃くらいに感じられた。昨年の5℃に比べるととてもいい状態だったのかもしれない。昨年よりスタート時間が30分早くなり、会場は完全な真っ暗闇でライトを点けないと何も見えない。

そんな中、昨年の70キロより大幅に参加者が減った50マイルは50名ほどが午前4時にスタートした。スタートから尻別岳を登っていると何となく足に力が入らず、数日前の連チャン登山の筋肉疲労がまだ抜けてない感じだった。

尻別岳を登っている途中で徐々に東の空が明らんできて、ぽっかりと日の出が見えてきた。何となく調子の悪さを感じながらも昨年よりは速いペースで来ており、全体の順位も30番と予定通りの位置にいた。

そして尻別岳の下りは昨年同様、いや昨年より更に凄みを増した「すべり台級」の登山道は我々選手から笑いを奪い、みんなで時々助け合い声を掛け合う必要があるほどだった。

そんな厳しい下りを終えてスキー場を下っている途中に、うっかりコースを間違えて1キロ弱くらい余計に走ってしまった。後ろの数人を巻き込んでしまったので、その後のエイドで会った時に謝りまりました(笑)

その後のゴルフ場を回避してスキー場に入るまでのコースが今年新たに設計された場所なのだが、そのコースがなかなか凄い。川渡りが10回ほど、足を捕られる泥沼が5回ほどあり、適度に駆り払った笹薮が何度も脛に突き刺さる。

きっと素足の選手なら血だらけになっていただろう。たった2.5キロの道のりに30分も掛かってしまった。ここをラストにも通らなければならないなんて、少し憂鬱になったのを覚えている。

そんな厄介な場所をクリアするとやっと南側のスキー場にたどり着く。ここからは新たに送電線の下を通るコースが開拓され、走りやすいところと走りにくいところがハッキリしていてトレランらしいコースだ。

途中から昨年のコースと合流するが、この辺で60キロクラスのトップ選手が続々と抜いていった。スタート時間が1時間しか違わないのに元気モリモリの走りをしている。さすがトップ選手は違う。

送電線コースの途中には何度か小川を渡る場所もあったが、明らかな用水路見たいなところもあってジャプジャプする。

それからは昨年と全く同じダラダラとした登りが続く林道コースを、昨年のことを思い出しながらしっかり走れるところは走り、走れないところは歩いた。ここまでで数人抜いていたので、順位的にはちょうど半分くらいに盛り返していた。

かなり苦しい走りと思ってはいたが、ここでも昨年より速いペースで登っていたようだ。最初の関門の36キロ地点は2時間半の貯金を作って通過したが、半分にも満たないこの辺ではまだ先の判断はできない。

その林道を走っている最中に随分オートバイの爆音が聞こえるなぁと思っていて、45km地点のチェックポイントで熊が出没したことを知らされる。

長い林道を登りきり、スキー場頂上へアタックする直前の48kmエイドで数人のランナーと話したが、すでに他のランナーはゴール出来るかどうか半々くらいに感じていたようだ。

次の58km関門までの10kmを1時間50分ほどで走らなくてはならない。もちろんその間に急峻な山が2回あるので余裕は全く無い。

昨年走った私もその時点で全く判断できなかったので「何とも言えないですね」と言うしかなかった。いずれにしてもあまりゆっくりしている余裕はないので、水分と食べ物を補給したら後半の山場とも言える山頂アタックに向かった。

貫気別山と名乗るスキー場の山頂までの登りは後半の目玉でもあるが、ここはまた後で2回目を登ることになる。

そんな厳しい登りを終えると今度は超長い下りになるので、やっと私の表情にも笑みがこぼれてきた。3キロのゲレンデを一気に750mも下るのはかなり楽しい。

さっきまでの林道の登りでは補給するタイミングを逃がしてスタミナ切れが顕著に現れていた。しかしこの下りを機にようやく目覚めてきたようで、50kmを通過してようやく「これからが本番だ」と思えるような心理状態になってきた。

そんな下りを楽しんでいる最中に何だか雲行きが怪しくなり、ゴロゴロと雷の音が響く。さほど近くには感じなかったので気にせず下っていたが、その直後に一気に土砂降りになった。

いや、雨というには随分冷たい。まるで雪のような冷たい雨が肌に張り付き少しビビったが、とにかく気分が乗ってきたので走るしかない。

ところが雨足はさらに強くなり、バケツ級になって視界も怪しくなってきたところで運良くゴンドラ乗り場に逃げ込んだ。そして、上着を着たりしている間に雷がすぐ近く落ちたような音が何度も続いた。

数人逃げ込んだランナーたちも怖くて外には出られない状態が15分くらい続き、みんなで補給物を分け合ったり今後のレースの話を少しした。

雨は降り続いているが雷は収まったようなので再びコースに戻るが、林道のわだちが川のようになっていた。このままでは通常通りのレース続行は厳しいだろう…と思いながらも次に通過する54kmのエイドではボランティアの方から何のアナウンスもない。

雨が降り続く中ではあるが、とにかく調子が上向いてきたのでエイド毎にしっかり食べて前に進むしかない。

56キロのチェックポイントまでグイグイ登っていると、その坂が昨年のラストの急坂だと気付いたが、昨年はもう一度登ると思うと少し凹んだ。

昨年はこの後の下りでチップを落としてしまったので、今年はしっかり確認しながら走る。雨にやられた他のランナー達はかなりテンションが落ち気味でトボトボ歩いている人も多かったが、私は何故か少し笑いながら「ウホォー!」と叫びながら下っていた。

そんな楽しい下りの途中で、その後の登り返しのコース上を凄い勢いでクラクションを鳴らしながら走る車が見えた。

「やっぱりコース短縮か?」と思い、これからなのにという気持ちとホッとした気持ちが交錯していたが、第2関門の58キロ地点に行くとスタッフから大会中止が言い渡された。

「えっ?!」

80kmから60kmへのコース短縮ではなく「中止」と言い渡された。私は狐につままれたような顔でその現実を受け止めるしかなかった。タイムはちょうど関門時刻の14時だった。

タイムと見るとちょうど関門時間の10時間だった。それからの25キロを4時間で走れるかどうかと言われると微妙なタイミングだろう。

いや、普通に考えればかなり厳しい状況ではあるが、実際のところ調子が回復していたし走る気は満々だった。どんなに雨が降ろうと、足が抜けないような泥沼であろうと完走できるという根拠のない自信はあった。

本来であればこの58キロ地点の関門をクリア出来なかった場合に、60キロコースへゴールするというクラス変更が出来る制度を設けていた。それで60キロを完走したことになるのかどうかは解らないが、フィニッシュタイムが参考記録に残るらしい。

そんなことは最初から想定していなかったが、現時点での通過タイムを考えるとそんな選択肢もあったのかも…と少しだけ考えた。そのままゴールまで帰れば60キロコースを走ったことになるので、私はもちろん80キロクラスのランナーはほとんどそのまま走って帰った。

周りにいる選手はUTMFに必要なポイントが喉から手が出るほど欲しいランナーばかりだ。私もその1人で、そのためにこのレースへ臨んでいたと言ってもいいほどだ。

そんなランナーたちに「中止」だと言っても現実のこととは思えない、いや信じたくない。そんなことを考えながらゴールに向けてコースを走ることしか考えてなかった。

途中の駐車場で迎えの車が来るから待ってて下さいとスタッフの方に言われたが、10時間以上走ってきた我々にはどんな形であれゴールすることしか頭にない。それにこれからそこで待っていても何時間待つか解らないし、その間に雨で体が冷えてしまい間違いなく体調を崩すことになるだろうと思いそのままコースを続行した。

しかし、そのゴールまでのコースが大会中止に陥った原因であることを知る。

ゴルフ場を回避するために作ったコースを進むと、コース自体が川のように水が流れ元々小川だった場所は腰まで水に浸かる危険な状態だった。ポールがなければ流されてしまうほどの深さで、我々男性でもゆっくり慎重に渡るしかない。

更に厄介だったのは泥沼が足の付け根まではまってしまい、足が抜けないような状態でかなりヤバかった。それに駆り払った笹薮はほとんどが凶器のように突き刺さり、何度も痛みで足を止めるほど苦悶の表情を浮かべて前に進んだ。

もはやこれはトレランレースではない。アマゾンのジャングルを命がけで生き延びるために歩いている気分だった。来る時30分かかった2.5キロが、帰りは40分も掛かった。ようやく国道が見えた時はその場にいたみんなが「助かった」と言ったほどだ。

国道を渡り遊園地を通り抜け、最後の坂を登りスタート地点に戻りようやくゴール地点に戻ると会場は騒然としていた。先ほど私たちが戻ってきたコースは危険で通れないため、手前で待機させた選手たちを搬送するためその対応に追われていた。

それとどうやら16キロの選手に戻ってきてないランナーがいたようで、警察が捜索などの対応をとるかどうかの話をしていた。16キロの選手はとっくに戻ってきてもいい時間なのだが、携帯を持っていない選手もいたようでどうなるのか不安だった。

結局、その時点では大会全体が中止と言われていたので選手の表彰は無しで、当然完走者も存在しないことになる。

結局のところ大会の顛末を確認できずに不思議な気分のまま会場を後にして、以前から気になっていたルスツ温泉に行ってみた。かなり狭いスペースではあるが、なんと200円で天然温泉に入れてとても得をした気分でそのまま帰路についた。

ガーミン距離 66.32km
タイム 10時間59分29秒
累積標高 3,492m

結局60キロクラスの正規ルートを走ったが、途中のコースミスで1キロほど余計に走った。

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