その年の5月に10キロレースに出る事を決めていた私は、やっと4月入ってから練習量のピッチを上げた。

6キロ、7キロ、8キロ、9キロと徐々に練習の距離を伸ばしいよいよ10キロの練習を始めた。それも大会の1週間前だった。

 

今でこそマラソンの知識も多少付いてきたが、当時は大会に向けての練習方法や調整など全くと言っていいほど知らなかった。

恐らく今なら、大会の1週間前に大会と同じ距離なんか走らないだろう。マラソンには大会前の調整というものがあり、大会前は少し練習量を落とすのがセオリーだ。

 

しかし、その時の私に怖いものはなかったのかもしれない。

大会の1週間前と3日前にレースと同じ10キロを5分/kmペースで走りきり、大満足。後は大会に向けて風邪や下痢にならないようにしてその時を待つだけだった。

 

 

そして、遂に人生初のマラソンレースがやって来た。

まぁ、中学生の時に校内マラソン大会があったので正確に言うと初めてではないが、中学生の大会なんて5、6キロがいいとこだろう。

 

ちなみに中学校のマラソン大会では学年の3分の1くらいの位置だったと思う。

「速くはないが遅くもない」

当時はそんな感じだったのでまさか大人になってからマラソン大会に出るなんて思いもしなかったろう。

 

当時の格好は普通のTシャツに短パンという姿で、どこから見ても市民ランナーといった感じだが、大会に臨む私の気分はオリンピックに出る選手のようだった。

その大会は日刊スポーツ新聞がスポンサーで札幌市内の豊平川河川敷を走る公認コース。

「第14回日刊スポーツ春さわやかマラソン」

大会前日に既にゼッケンを受け取っていたので、当日は割とゆっくり会場である真駒内公園に入った。

 

確かその時はたまたま有森裕子さんがゲストで来ていて、私と同じ10キロレースに出場するとのことだった。会場では沢山の人がウォーミングアップの為にグルグルと走り回っていたので、私も調子に乗って軽くジョギングをはじめた。

 

その後程なくして10キロのスタート時間となったようなので、競技場の中のスタートライン近くに向かった。スタートライン近くには既に何百人もの選手がスタート待ちをしていてその時を待つばかりとなっていた。

 

かなりの列になっていた事から見て「恐らく速い人が前にいるんだろう」ということは解ったが、自分がどの辺に位置するのかなんて解るわけがない。

 

 

とりあえず中間辺りに陣取った私は、とにかくスタートの号砲に反応して動き出した。